開館時間
10:00〜20:00
★諸般の事情により営業時間が変更になる場合があります。
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〜本展に寄せて〜
日本における前衛書の動きが活発だった1950年代から60年代にかけて、日本の書道が西洋の抽象表現主義絵画と交流を持った事は、よく知られた話であるが、その後半世紀が経ち、なぜだか日本の書道はアートであるのか否か、という問題は放置されてきた。というか、作品として通用するものが全く出てこなかったのである。
その一つには、書道界が師匠と弟子という権力構造を崩さなかった点があり、新たな発想を持った若手のアーティストがなかなか登場できなかった理由は、そこにあった。本展の画期的なところは、まずその長年の慣例からは完全に外れたところから出発した、全てが平等な中での書の芸術運動であることにある。
また、現代アートとして通用するには、世界と自分の関係を「現在の目線で書き残す」必要があり、模倣はそこにない。ないからこそ、奇異に映るであろう作品となっている。美術界に迎えられたのも、そうした新たな動きとしての記号や言語と直接対峙するアーティストの存在があるからだ。その中でも、近年力をつけてきた気鋭のアーティストをここでは紹介したい。
まず、Jung huux(ジュン・フー)は、今回が初出展となる新人だが、文字と文字とを物理的に重ね、ヒトの思念そのものが複層的であることに注目した作家である。独特の言葉の解釈は、文字が書かれているにも関わらず、見る者を「なんだろう」と思わせる作風だ。
Yoko Morishige+Mokoは、Mokoというパートナー(実は長年連れ添ったぬいぐるみ)との思念上の対話をそのまま作品としている。だから作品も、二人の共作という立場を取り、名前もその通りにしている。そのつぶやきにも似た言葉は、心の中の二人の対話という形式から生まれたもの。
更科千鶴は、顔彩を使って書くのが特徴的な書家で、独自のベクトルを示す「記号」は環境と自己との関係を示し、そことの調和を目指す。文字は最小限に留めて書いており、今回のシリーズも地下鉄路線と駅名を書き、ピンク色でコロナに罹患する人々の心労を表現した。
滝沢汀は、自身の内面の吐露の新たな形を目指して、脳内に宿る言葉をそのまま書いていく、オートマチスムに似た、シュルレアリスティックな手法を取る。言葉にはそもそも質量などないが、彼女の中には大きさも序列もあり、人間の欲望の形をそのまま示したような作品となっている。
最後に、私山本尚志だが、モノにモノの名前を書く手法で、世の中と自分との関係やバランスを常に試行錯誤している。そして、時には誤ったりもする。モノにその名前を書くはずが、ミスリードを冒すこともある。そうした、人間としての「もがき」みたいなところで登場した"エラー"が、私の作品なのかも知れない。
さて、このように「書道が美術になる」こと。
それは、言語と我々という「メッセージ」としての在り方のほか、平たく言えば、美術作品の中で我々がいかに世間に対してモノを言うのか、あるいは作家内部の心に刻むのか、各アーティストがそれぞれに、その道のりを歩むことなのだと思っている。美術のいかなる潮流や、傾向にも触れず、独自の道だけを進む我々に賛同するギャラリストが増えているのは、有難いことである。おしまいにこの展覧会を開催して下さった名古屋三越様、ARTE CASAの村瀬様にこの場を借りて感謝申し上げたい。
山本尚志(書家、現代アーティスト。本展キュレーター)
■出展作家
Jung huux
Yoko Morishige +Moko
更科千鶴
滝沢汀
山本尚志
■協力
ART SHODO FESTA
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